📌 この記事が30秒でわかる!3行まとめ
- 「小涌園前」は地名ではなく施設名。中継スタッフ約300人分の宿を救ったホテルへの恩返しが由来
- 1987年に始まった全区間生中継は、中継基地34カ所・中継車14台・ヘリ2機・カメラ61台で成立している
- この呼び名への疑問が池井戸潤の小説を生み、2026年10月期のドラマにつながった
毎年お正月の箱根駅伝を見ていると、実況が地点を告げるたびに地名が読み上げられます。鶴見、戸塚、平塚、小田原。ところが5区の山登りに入ると、そこだけ響きの違う言葉が混ざります。「小涌園前」です。小涌園というのは箱根にあるホテルの名前ですから、これは地名ではなく施設の名前。なぜここだけ企業の名前で呼ばれているのでしょうか。この素朴な疑問は、実はひとりの作家を十年以上つき動かし、ついには1本の長編小説と、2026年10月期の日本テレビ系ドラマ『俺たちの箱根駅伝』を生み出すきっかけになりました。今回は「小涌園前」という呼び名の由来をたどりながら、その背景にある日本テレビの中継の歴史と、そこから作品が生まれるまでの道のりを見ていきます。読み終わるころには、次のお正月の中継で同じ言葉が流れたとき、少しだけ違う気持ちで聞けるようになるはずです。
「小涌園前」とは?箱根駅伝のどこにある地点なのか

まずは場所の確認から始めましょう。名前だけ知っていても、位置関係が分かると理解がぐっと進みます。
5区の山登り区間にあるポイント地点
小涌園前は、往路5区の途中、箱根の山を登っていく区間にあります。小田原中継所を出た選手が箱根湯本を過ぎ、大平台のヘアピンカーブを抜けてさらに標高を上げていった先。ここを通過するころには、選手はすでにかなりの高低差を登り終えていて、勝負の分かれ目に差しかかっています。復路6区では逆に、芦ノ湖から一気に駆け下りてくる選手がここを通過します。つまり往路でも復路でも通る、山区間の要所なのです。テレビ中継では通過タイムを伝えるポイントとして毎年必ず登場するので、駅伝を見る人にとってはおなじみの言葉になっています。
住所としての地名は「小涌谷」
ここで少し混乱しやすいのが、地名との関係です。この一帯の地名は神奈川県足柄下郡箱根町の「小涌谷」で、箱根登山鉄道にも小涌谷駅があります。つまり地名で呼ぼうと思えば「小涌谷」と呼べるのです。それなのに中継では「小涌園前」と言う。私は最初にこの違いに気づいたとき、単なる言い間違いや慣習かと思っていました。けれど調べていくと、そこには明確な理由がありました。地名で呼べるのにあえて施設名で呼び続けている、というのがこの話の核心です。
山区間で通過タイムが持つ意味
小涌園前が中継で必ず読み上げられるのには、位置の分かりやすさ以外の理由もあります。5区は標高差が800メートルを超える上り区間で、平地の走力がそのまま順位に反映されない特殊な区間です。序盤で余力を残した選手が後半に一気に前を抜く展開も珍しくなく、通過タイムの差が数分単位で開いていきます。そのため中継では、山のどのあたりでどれだけの差がついているのかを、視聴者に段階的に伝える必要があります。小涌園前は、その途中経過を示すのにちょうどよい位置にあるわけです。ここでの通過タイムを聞けば、山に強い選手がどこで勝負を仕掛けたのかが見えてきます。私は以前まで単なる地点名として聞き流していましたが、区間の性質を知ってからは、この通過タイムを楽しみに待つようになりました。
もうひとつ触れておきたいのが、この呼び名が「一社だけの話」で終わっていない点です。箱根駅伝の中継は、放送局だけでなく、宿泊施設、沿道の自治体、警察、鉄道会社、そして地元で暮らす人たちの協力があってはじめて成立します。年始のいちばん忙しい時期に道路を空け、人の流れを整理し、機材の置き場所を貸す。その一つひとつは記録に残りにくい協力ですが、積み重ならなければ11時間の生放送は組み立てられません。小涌園前という呼び名は、そうした無数の協力のうち、たまたま名前として残った一例だと考えると、見え方が変わってきます。私は、この地点名が残っていること自体が、中継が地域に支えられてきた証拠のように思えるのです。
中継の地点名はどう決まるのか
そもそもロードレースの中継では、地点の呼び方に絶対の決まりがあるわけではありません。視聴者にとって位置がイメージしやすく、実況が短く言い切れて、現場のスタッフが共有しやすい名前が使われます。だから「◯◯交差点」「◯◯橋」「◯◯前」のように、目印になる建物や構造物の名前が採用されることも珍しくありません。その意味で「小涌園前」という呼び方自体は、放送のルールから外れた特殊なものではないのです。ただし、その名前が選ばれ、40年近くも変わらずに使われ続けている理由となると、話は別になります。
なぜ地名ではなく施設名なのか——300人分の宿がなかった夜

ここからが本題です。この呼び名の背景には、中継が始まったばかりのころの、ある出来事があります。
箱根の山に詰めた300人のスタッフ
1980年代、日本テレビが箱根駅伝の全区間生中継に挑んだ当時、山中には大量のスタッフが配置されていました。電波を中継するための機材を山の中に運び上げ、そこに人が張り付いて放送を支える。そのための人員は300人規模にのぼったと伝えられています。ところが、この300人分の宿の手配が漏れてしまったというのです。年末年始の箱根は観光地として最も混み合う時期ですから、当日になって急に部屋を探しても、まず見つかりません。私はこの話を読んだとき、放送の華やかさの裏側にある現場の生々しさに、思わず息をのみました。
大広間を素泊まりで開放したホテル
このとき手を差し伸べたのが、箱根ホテル小涌園でした。「正月は宴会がないから」という理由で大広間を素泊まりで開放し、行き場のなかったスタッフを受け入れたと伝えられています。ホテル側にしてみれば、書き入れどきの空間を通常の営業とは違う形で提供したことになります。放送は無事に成立し、中継は続いていきました。企業同士の契約や取引というより、困っている相手を目の前にして部屋を開けた、という話に近いと感じます。
年末年始の箱根で部屋を探す難しさ
この逸話の重みを理解するには、当時の箱根がどういう状況だったかを想像する必要があります。箱根は年末年始が一年でもっとも混み合う時期で、宿泊施設は早い段階から予約で埋まります。しかも駅伝の中継スタッフは、観光客のように一部屋ずつ確保すればよいわけではありません。機材とともに山中に散らばり、翌朝の早い時間から持ち場に入る必要がある人たちです。移動時間を考えれば、山から離れた場所に泊まるという選択肢も現実的ではありません。つまり「近くに、大人数を、同時に」という条件がそろわないと成立しないのです。それを正月の大広間という形で満たしたのが小涌園でした。宴会場を素泊まりに開放するという判断は、営業の常識から見れば決して当たり前のものではなかったはずです。
「呼び続ける」という形の恩返し
その恩義に報いるために、日本テレビはこの地点を「小涌園前」と呼び続けている——これが呼び名の由来として語られている経緯です。金銭のやりとりでも、契約の条項でもなく、毎年正月に全国へ流れる言葉として残す。私はこの返し方が、いちばん印象に残りました。1年に2回、往路と復路でその名前が読み上げられ、それが40年近く積み重なっている。目立たないけれど、消えない形のお礼です。あわせて、大学駅伝そのものの仕組みを知っておくと、この中継がどれほど特別なものかが見えてきます。
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そもそも箱根駅伝はなぜ全区間中継できたのか

宿が足りなくなるほど大量のスタッフを山に送り込んだのは、なぜでしょうか。そこには技術上の必然がありました。
「山で電波が切れる」から不可能とされていた
日本テレビが箱根駅伝の全区間生中継を始めたのは1987年、第63回大会からです。それ以前、東京から箱根までの100キロを超える道のりを生中継することは、技術的に不可能だと言われていました。理由は単純で、箱根の山が電波を遮ってしまうからです。当時は「できるならとっくに他局がやっている」という空気すらあったと伝えられています。それでも実現できたのは、山の上に電波を受け渡す拠点を自前で作るという発想と、それを支えた通信インフラ側の協力があったからでした。
中継基地34カ所、中継車14台、ヘリ2機
実際の中継の規模を数字で見てみましょう。二子山や湘南平などに設けられた中継基地は34カ所、選手を追走する移動中継車は14台、空撮と電波の中継を担うヘリコプターは2機、投入されるカメラは61台という規模で運用されてきたと伝えられています。選手を映すためのカメラよりも、その映像を東京まで届けるための仕組みのほうが、はるかに手間がかかっているのです。現在では走行位置やペースをリアルタイムで表示するシステムや、映像から情報を自動で読み取る技術も導入されています。走る側の物語だけでなく、映す側の物語が成立するのは、この規模があるからです。
中継の密度を計算してみた
数字を並べるだけでは実感が湧かないので、私は実際に割り算をしてみました。箱根駅伝の往復の総距離は217.1キロです。これを中継基地34カ所で割ると、217.1÷34=約6.4キロ。つまり6キロちょっとごとに電波の受け渡し拠点がある計算になります。カメラ61台で割ると217.1÷61=約3.6キロですから、3.6キロにつき1台のカメラが配置されている密度です。さらに放送時間で見ると、往路と復路がそれぞれおよそ5時間半、合わせて約11時間、分に直すと660分。カメラ61台が660分動き続けるとすると、61×660=40,260カメラ分の映像が生まれることになります。私はこの数字を出してみて、たった1本の襷を追うためにこれだけの仕組みが動いているのかと、あらためて驚きました。ちなみに大会側のルールも時代とともに変わっていて、出場や予選会の仕組みは見直しが続いています。
→ エントリー16人ルール導入で箱根駅伝予選会はどう変わったのか
この呼び名が小説『俺たちの箱根駅伝』を生んだ

そしてこの「小涌園前」という言葉が、ひとつの作品の出発点になります。
池井戸潤さんの出発点は素朴な疑問だった
作家の池井戸潤さんが『俺たちの箱根駅伝』を書くきっかけになったのが、まさに「なぜここだけ施設名で呼ぶのか」という疑問でした。その理由をたどるうちに、不可能とされた生中継を実現させた初代プロデューサーの存在を知り、執筆を決意したと語られています。原作は2024年4月24日に文藝春秋から上下巻同時発売という、著者としては初めての形で刊行され、累計20万部を超えました。ひとつの言葉への引っかかりが、これだけの作品になるというのは、書き手にとっても読み手にとっても励みになる話だと感じます。
完成まで十余年かかった理由
ただし執筆は簡単ではありませんでした。構想から完成まで、十余年もの歳月がかかっています。最大の壁になったのが、実在の大学や選手への配慮でした。実在のチームを舞台にして勝手な物語を作ってよいのか、という問いに答えが出せなかったのです。この行き詰まりを解いたのが、予選会で敗れた大学の選手たちで編成される関東学生連合チームという枠組みでした。特定の大学の物語にしないことで、初めて自由に書けるようになった。池井戸さんは書き上げたあと「もう二度と、こんな小説は書けないでしょう」と語っています。
20万部を超えた反響と読者の受け止め
刊行後の反応も、この作品の性格をよく表しています。上下巻同時発売という形は読者にとって負担が小さくないはずですが、発売直後から重版がかかり、累計は20万部を超えました。書評では「夢やぶれた者たちへのエール」という受け止め方が繰り返し語られています。優勝を目指す物語ではなく、予選会で敗れた選手たちが集まって走る物語だからこそ、勝てなかった経験を持つ多くの読者に届いたのだと考えられます。実際に箱根駅伝を走った経験のあるランナーからも、描写がリアルだという評価が出ています。私は、この受け止められ方こそが「実在の大学を舞台にしない」という選択の答えになっていると感じました。特定の学校の物語にしなかったからこそ、誰の物語にもなれたのだと思います。
ドラマ版のテレビ局は「大日テレビ」
映像化にあたっても、この配慮の姿勢は引き継がれています。劇中で箱根駅伝を中継するのは日本テレビではなく「大日テレビ」という架空の放送局で、登場する明誠学院大学や東西大学もすべて架空の大学です。実際の中継を担ってきた日本テレビが、自分たちの舞台裏を架空の局として描く。視聴率を求める編成局長や、タレントをねじ込もうとする芸能事務所といった要素をフィクションとして成立させるために、この距離の取り方が必要だったのだと考えられます。ちなみに、実際に箱根駅伝の実況を長く務めてきた蛯原哲アナウンサーが、大日テレビのベテランアナウンサー役で出演することも発表されています。
私たちの暮らしから見た「小涌園前」

最後に、この話を自分たちの側に引き寄せて考えてみます。
企業名が地点名として定着するということ
私たちの身の回りにも、正式な地名ではないのに、みんながその名前で呼んでいる場所があります。バス停や交差点の名前として企業や施設の名前が使われ、その建物がなくなったあとも呼び名だけが残る、というのはよくあることです。「小涌園前」が特別なのは、その呼び名が続いている理由を放送局側が明確に語り、恩義という言葉で説明している点です。習慣として残ったのではなく、意思を持って残している。契約書に書かれていない約束が40年近く守られているという事実は、それ自体が企業文化の一例として興味深いと思います。
2027年の正月に何が起きるか
ここで放送のスケジュールを並べてみると、面白いことが見えてきます。ドラマ『俺たちの箱根駅伝』は2026年10月期の連続ドラマですから、順当にいけば12月中に最終回を迎えます。そしてその直後、2027年1月2日と3日に第103回箱根駅伝の本戦が日本テレビ系で生中継されます。ドラマで中継の裏側を知ったばかりの視聴者が、数日後に本物の中継を見る。実況が「小涌園前」と言った瞬間、その言葉の重さが以前とはまったく違って聞こえるはずです。放送する側から見れば、これ以上ない導線の作り方だといえます。なお、放送そのものの仕組みや受信料まわりの話題も、近年は変化が続いています。
→ NHK ONEとは?NHKプラスとの違いと受信料のルールを解説
呼び名が40年続いたことの意味
最後に時間の長さについて考えてみます。全区間生中継が始まったのが1987年ですから、2027年の第103回大会までで40年という年月が流れる計算です。その間、放送に関わる人はもちろん入れ替わり、機材も技術も大きく変わりました。それでも地点名だけは引き継がれてきました。担当者が代わるたびに「なぜこの名前なのか」が語り継がれなければ、こうはならなかったはずです。組織の中で理由ごと継承されている習慣というのは、実はそう多くありません。私はここに、放送というものの面白さがあると思っています。番組は流れて消えていくものですが、その中で使われる言葉は、意外なほど長く残る。小涌園前という五文字は、契約書よりも確かな形で、ある夜の出来事を今も伝え続けているわけです。
現地に行くとどうなっているか
箱根ホテル小涌園は、今も箱根小涌園として営業を続けています。ドラマ化を記念して、作品を振り返る特別な空間が用意されたことも発表されました。小涌谷は箱根登山鉄道の小涌谷駅から近く、箱根湯本や芦ノ湖と組み合わせて回れる場所にあります。中継のたびに名前を聞いていた場所に実際に立ってみると、あの山道の傾斜がどれほどのものか、体で分かるはずです。なお、本記事で扱った経緯は放送局や関係者の語りに基づくもので、契約や公式規則として明文化されたものではありません。細かな事実関係は今後の取材や公式発表で更新される可能性がある点は、頭の片隅に置いておいてください。
よくある質問

Q. 箱根駅伝の「小涌園前」はなぜ地名ではないのですか?
中継が始まったころ、山中に配置された日本テレビのスタッフ約300人分の宿が確保できなくなった際、箱根ホテル小涌園が大広間を素泊まりで開放して救ったと伝えられています。その恩義に報いるため、地点名として呼び続けているとされています。
Q. 小涌園前は何区のどのあたりにありますか?
往路5区の山登り区間の途中にあります。小田原中継所を出て箱根湯本、大平台を過ぎたさらに先で、復路6区では芦ノ湖から下ってくる選手も通過する要所です。
Q. 地名としては何と呼ばれる場所ですか?
住所としては神奈川県足柄下郡箱根町の小涌谷にあたります。箱根登山鉄道にも小涌谷駅があり、地名で呼ぶこともできる場所です。
Q. 箱根駅伝の全区間生中継はいつ始まったのですか?
1987年の第63回大会からです。それ以前は箱根の山が電波を遮るため、技術的に不可能とされていました。
Q. なぜ山では中継が難しかったのですか?
山が電波を遮ってしまうためです。二子山や湘南平などに34カ所の中継基地を設け、電波を順に受け渡す仕組みを作ることで解決されました。
Q. 中継はどれくらいの規模で行われているのですか?
中継基地34カ所、移動中継車14台、ヘリコプター2機、カメラ61台という規模で運用されてきたと伝えられています。総距離217.1キロに対して、およそ6.4キロごとに中継基地がある計算になります。
Q. この話が小説とどう関係しているのですか?
作家の池井戸潤さんが「なぜここだけ施設名なのか」という疑問から中継の歴史を知り、『俺たちの箱根駅伝』の執筆を決意しました。原作は2024年4月に上下巻同時で刊行されています。
Q. ドラマに出てくる「大日テレビ」は日本テレビのことですか?
モデルは日本テレビですが、劇中では架空の放送局として描かれています。登場する大学もすべて架空で、実在の学校や選手への配慮から意図的にそうされています。
Q. 執筆に十年以上かかったのはなぜですか?
実在の大学や選手を題材にすることへの葛藤が理由とされています。予選会で敗れた選手による関東学生連合チームという枠組みを見つけたことで、ようやく物語が成立しました。
Q. ドラマの放送と本物の箱根駅伝の時期は重なりますか?
ドラマは2026年10月期で、通常なら12月中に最終回を迎えます。その直後の2027年1月2日と3日に第103回箱根駅伝が生中継される見込みで、時期が連続する形になります。
参考・出典
- 日本テレビ「俺たちの箱根駅伝」番組公式サイト
- 東京箱根間往復大学駅伝競走公式サイト「箱根駅伝とは」
https://www.hakone-ekiden.jp/about/ - 関東学生陸上競技連盟 公式サイト
https://www.kgrr.org/ - 文藝春秋 本の話「池井戸潤 特設サイト『俺たちの箱根駅伝』」
https://books.bunshun.jp/sp/oretachinohakoneekiden - 箱根ホテル小涌園 公式サイト
https://www.hakone-hotelkowakien.jp/
※本記事の情報は執筆時点のものです。中継の経緯や地点名の由来は関係者の証言に基づくもので、公式規則として明文化されたものではありません。内容は予告なく変更されることがあります。
